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虹色のパレット

虹色のパレット

14.行動開始


14.行動開始

その年の暮れ、私は、夢から覚めたように、行動を開始した。ちょうど、絵を描き始めたときにスケッチブックと鉛筆を買ったように、アメリカに行くのなら、まず、英会話と言う単純さで、またも行動は開始された。
 英会話の雑誌やラジオテキストなどを買った。そして、もう、すっかり使うこともなくなっていた英語の誇りを払ってみた。別に、どうやってアメリカに行くのかとか、そんな手立ては皆目ない出発だった。
 昔、中学や高校で英語を習ったとき、外国は、まさに夢の彼方にあり、外国映画を見ても外国文学を読み漁っても、イギリスとかアメリカは遠い夢の国だった。でも、当時は、それが夢の国であればあるほど、英語と言う外国語に惹かれて一生懸命に勉強したものだった。そんな、大好きだった夢の国の「英語」と言う勉強も、現実のアメリカと言う国の言葉として向かい合ったとき、私は、なんだか恐れのようなものを感じてしまった。
 不安を感じながら、パラパラとページをめくった雑誌の片隅に、「アメリカ短期留学生募集」と言う広告を見つけた。期日は、小学校の夏休みとほぼ一致していた。費用も、6週間の滞在費と往復の旅費が含まれていて、個人で行くより格安だった。滞在場所は、ロスアンゼルスだったが、とにかくそこはアメリカだ。アメリカに行きさえしたら、そこからニューヨークへの道は開かれるだろう。
 
 私は、下宿の近くに見つけた英会話のクラスに出たり、アメリカの作家の絵について知識を得たりそんなことに時間を費やしながら、突然、日本国内の旅をしたくなった。
 春休みに、私は、宿の予約も何もしないでふらりと一週間の旅に出た。その時、私は、新しい世界への模索を始めたとは言え、教師として失格しようとしていたのだから、気分的にもかなり参っていた。

 ある朝、京都行きの新幹線に飛び乗った。持ってきた国鉄の時刻表を睨みながら何処へ行こうかと考えた。京都見物という気分ではなかった。京都は素通りして、京都から舞鶴に行き、そこから山陰の旅をすることにした。
 私は、何時も慎重で計画的だった。初めから物事がはっきり分かっていないと嫌だった。不安だった。どうなるか分からない未来をきっちりとした計画で先取りして、安心したかった。
 でも、それは幻想だと言うことに気付き始めていた。計画を立てて未来に期待することは少しも悪いことでないし、「備えあれば憂いなし。」むしろ大切だけれど・・・。どんなに計画して期待しても、未来を先取りすることは誰にも決して出来ない事なのだと実感し始めていた。
 
 私は、始めてこんな気侭な旅をした。出会う人々は、おおらかで親切だった。きっと私も、おおらかな気持ちになっていたのだろう。
 反対方向に山陰を回ってる男の子達と出会うと、「え、今夜は城崎に泊まるの? 宿の予約は大丈夫ですか? 夕べ、俺たち、宿が取れなくて、終列車でここまで来てやっと見つけたんだよ。予約無しで、女性の一人旅、いい度胸だね。」
なんて言われながらすれ違う。不思議に、宿が取れないかもしれないと言う不安は何処にもなかった。そんなことを聞きながら、初めて飛び込んだ旅館に何時も宿が取れた。気に入った所にでは、二泊する事もあった。景色に見とれて宿に夕方遅く帰ったりすると、宿の人がみんな心配してくれていた。女の子の一人旅と言うことで、随分気を使ってくれていたようだった。とても、感激し、感謝した。

 見知らぬ人と出会い、しばしの時を分かち合い、そして、別れ、それぞれにお互いの旅を、生活を続ける。人生ってこんなものかも知れない。違いがあるとしたら、旅には帰るところがある。でも、人生は帰るところが無い旅。だからこそ、何時訪れるか分からない自分の死と向かい合った時、「しっかり旅してきた。これで良かった。」と思いたい。

 「だから私は、思い切り、力いっぱい。自分の人生を生きてみたい。」
と言う思いを強くしていた。








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